『プロ弁護士の思考術』。

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僕は大学生になる前(受験生)のころは、弁護士になりたかったものだ。
それなので、法学部を積極的に受験したが、勉強が足りずに法学部には1つも受からずに、結局経済学部に行くことになった。
それ以降も法学には興味があったので、この書籍は非常に興味を持って読むことができた。
弁護士だけでないだろうが、とても参考になる記述があったので、いくつか引用する。
著者が反対意見といつも対峙しなければいけない弁護士という職業柄か、参考になったと思う記述は、会議の最中や自分の意見を発言した際のシチュエーションのものが多かった。
●P.118-119

ところが、会議や交渉で「私の意見は正しい」とか「あなたの意見は間違っている」という人をよく見かける。
こういう人は、自分の考えを絶対に正しいと思っており、他人の意見を誤りだと考える。しかし、他人はその考えを「正しい」と認めていない。それなのに、自分の考えだけが正しいと、どうしていえるのか。
このように、ある意見が正しいか否かは、是非を誰が判断するかの問題、つまり「判断者は誰か」の問題と切り離すことはできない。
判断権のある中立の第三者がいない以上、「自分は正しい」と断ずるのは無意味である。たとえ他人の意見が残薄だったとしても、そのことと自分の意見が「正しい」ということとはまったく別である。
<中略>
自分の意見も多くの意見の1つにすぎず、「正しい意見」とはいえない。そう自覚するのは、自信がないからではない。いや、自分の考えに自信を持っているからこそ、他人の意見に耳を貸すことができるのである。自信のない人ほど、他人をあしざまに非難したり、自分が絶対に正しいと声高に叫んだりするものである。

たしかに仕事をしていると、こういう相手がいたり、自分自身がそうであったりする。裁判の仕事の場合には、最終的には裁判官の判断によるものであるため、このような考え方が強くなったそうだ。しかし、一般のビジネスにも十分あてはまる内容だ。
●P.131

「批判に耳を貸すとき、思索は一段と深まる。反対意見を聞くのは、他人のデータ・ベースにアクセスするようなものである。」

自分の考えなどを批判されると、往々にしていい気分にはならない。しかし、この1文を読んだら、人からの意見を聞くのは、自分では考えの及ばない考えを得ることになるのだと、まさに”目からうろこ”な気分になった。
●P.174

人生は単純ではない。日々の小さな判断が運命にかなり大きな影響を与えている。その因果関係があまりに錯綜しているために、われわれには見えないだけである。
たとえば「ツキ」とは、このような目に見えないものの集積だろう。すなわち運命もツキも、ある程度は本人の性格と判断力次第であると、私は思っている。

まったくそのとおりである。小さな判断の積み重ねで大きな結果が出ているのだと思うことが最近はたびたびある。ある意味それを証明してくれたようで気持ちのいいフレーズだった。