東京大気汚染訴訟。

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11年前に起こったこの訴訟、みなさんはご存知だろうか?
自動車の排ガスが原因で、喘息などに悩まされた約633名(108名は既に他界)の原告団が、国、都、自動車メーカーを相手取って起こした訴訟である。僕は1976年生まれで、東京育ち。環七の真横のマンションで育ったためか、類に漏れず幼少の頃は喘息に悩まされた。発作が出ると、とにかく苦しくて何もできない。
1980年代後半から数多く導入されたディーゼル車が元凶と言われているが、1980年代といえば、高度経済成長の真っただ中である。その代償として、公害が発生してしまったということだ。
僕からしてみれば、久間防衛相よろしく、ある部分“しょうがない”のではないかと思う。経済が成長したおかげで今の豊かな生活があるわけで、自動車開発の過程で発明された技術なども、ほかの工業や産業に活かされているものだと推測できる。いまやトヨタ自動車は世界一の自動車メーカーにもなったくらいだ。
さらには、自動車の発展でロジスティクスも進歩し、新鮮な食材を食すことや、宅配便の即日配送なども可能になって、ビジネスの一助となっている。
それなのに、それが問題だということで訴訟を起こすのは、個人的には若干論点がずれているような気がする。かつての水俣病のように、1社の怠慢で公害を起こしたのならまだしも、経済成長の過程で発生してしまったのは、自身でも回避策をとりながら生活していくしかないと思える。さらには、原告側もこの経済成長で何かしらの恩恵を授かっているはずだ。喘息の発作が起こって、悪の権化「救急車」に乗ることもあろう。
米国の肺がん患者がタバコメーカーを訴えたり、肥満患者がマクドナルドを訴えるのと非常に近いもので、支離滅裂な感が否めない。
空気が悪ければ郊外に引っ越すことだって可能であろう。世の流れに調和したり適応しながら生活しなければ、今の時代の生活は厳しいのではないかと思える。
自動車メーカー7社が12億円の支払、国、都、メーカーが財源(5年間で200億円を負担)して都内の全喘息患者を対象とした助成制度を創設することで解決(和解)に向かうそうだ。
ここでまた税金が使用されることになる。日本は中央集権国家だから東京のような場所では、公害が発生するのはしょうがない。それを分散しようと、税源移譲などを行った矢先なのがとても皮肉だ。