東急世田谷線を歩く。
先日読んだ『吉田電車 (講談社文庫)』のマネをして三軒茶屋駅から下高井戸駅まで東急世田谷線沿いを自由気ままに歩く企画を実施。
とある案件でアイデアを出さなければならないが、ネタが枯渇しているせいもあり、外部の刺激を求めてのものでもある。
自宅から三軒茶屋駅へ
自宅のある方南町から三軒茶屋駅ってのは、道路距離では約5kmと、徒歩で約1時間くらい(google map調べ)なのだが、公共交通機関では非常にアクセスが悪い。1度渋谷に出てから東急田園都市線に乗り換えるというルートが提案される。これでだいたい約51分。歩きとさして変わらない。
しかし、三軒茶屋駅から下高井戸駅までたくさん歩く予定なので公共交通機関で行くことに。
天邪鬼なわたしは、新代田駅行きのバスに乗って、そこから少々歩いて下北沢まで行き、さらにバスに乗り換えて三軒茶屋駅を目指した。
三軒茶屋駅から松陰神社前駅
バスを降りたバス停の前に「太子堂楽器店」という創業80年の歴史ある楽器店があったので入ってみる。
ギターを趣味にしているわりにろくにギターを弾けるわけではないくせに、安いギターには興味がない。いや、Gibsonレスポール以外のギターには興味がないというのが正解か。お店に入ってみると、正直いってろくなギターはなかった。仕方がないので冷やかしがてらピックを5枚ほど買って店を出る。
毎度思うのだが、楽器屋の店員というのはどうしてこうロックかぶれの接客でこちらの気分を害する人間が多いのだろうか。これまでどういう教育を受けてきたのか甚だ疑問だ。お店のホームページには「音楽でおもいやりの心をはぐくむ」なんてコピーが書かれているが、まったく信用ならない。
気を取り直して東急世田谷線の乗り場があるキャロットタワーの方へ向かう。やや小腹が空いていて近隣の飲食店に吸い込まれそうになるが、ここでなにかを食べてしまうと道中の買い食いが難しくなりそうなのでぐっとこらえて先を急ぐ。しかし、アルコールは入れたいのでファミリーマートでビールを買って飲みながら沿線を進む。
なんの変哲もない住宅街をひたすらに歩いているだけなので、飽きが回ってくる。とりあえず有名な松陰神社を目指す。変な遊具が置いてあったのでパチリ。子どもたちはこれを使ってどのように遊ぶのだろうか。脳が硬直しているわたしのような大人には使いかたがまったくわからない。だから企画・アイディアもわかないのだろう。いやだいやだ。
そうこうしていると、松陰神社前駅に到着していた。この日は「幕末維新祭り」というイベントをやっていて、駅前商店街は大賑わい。「吉良」さんという居酒屋さんが魚を串に刺したものを売っていた。そうそう、こういうものをつまみながら街を闊歩したかったのです。鯖の塩焼きとイカトンビ、ジンジャ(神社)ーハイボールを買って神社を目指す。
駅前から5分くらい歩いただろうか、松陰神社に到着。駅前商店街よりも混んでいて、歩くのが大変。まだなんとなくお腹が空いているのではあるが、この類の屋台のものは必要以上に利益追求主義なのでここでは買わない。帰りの道中に商店街でやっている出店で買うのが吉。
吉田松陰先生。改めて調べてみると安政の大獄で捕えられ処刑されたのはなんと30歳のときだそうだ。のちに大活躍する伊藤博文らを松下村塾で20代で教育していたことを考えると、現代のアラフォーの自分が惨めでならなくなるが、こんなことを考えても仕方がないので本殿の参拝に向かうことにした。
これがその講義室。これまたなんでもないただの居間で、我が家のリビングと広さも構造もほぼ変わりなし。ここで幕末志士たちが多くを学んだそうな。そういや、いまNHK大河ドラマの『花燃ゆ』の吉田松陰役をやっている伊勢谷友介の講演を昨年聞いた。そのときはドラマを観ようと思っていたのだがまったく観ていないのでこれを機に観てみるか。読書のほうがはやいかな…?
松陰神社前駅から下高井戸駅
松陰神社前でそこそこ飲み食いが進んでしまって、腹はパンパン、脳はフワフワ、iPhoneでGoogle mapsを見てみるとじつはまだ出発から1/3も満たしていない。先の行程を考えるとゲンナリしてきたが、ただ歩くだけなので歩を進める。
豪徳寺に到着。
先の松陰神社とこの豪徳寺は今回の沿線散歩の目玉スポットだ。「豪徳寺」ってずいぶん豪勢な名前だなぁとは思っていたのだが、実際なかに入ってみるとひっそりととても落ち着いた趣のあるお寺だ。ここは吉田松陰と同じく安政の大獄で処刑された大老井伊直弼が眠る寺だそうだ。なぜだか招き猫とすだちも有名とのことで、境内のお店ではいずれも販売されていた。
豪徳寺ではほとんどやることがなく、本堂もどれだかいまいちわからずにお参りすることもできずに、あとにした。残り1/3の行程で目的地の下高井戸に着く。豪徳寺からは本当にひたすらに下高井戸まで歩いただけで記載するようなトピックが一切ない。
ゴーーーーール!
下高井戸はわたしがかわいいかわいい幼少期に、母によく連れられてきていた街だ。父がここに事務所を構えていたため、その電話番のためにたまに来ていたのだ。うっすらと残る記憶には、駅前には市場があることだったが、まだその市場があったことがもっとも嬉しかった。
番外編
下高井戸からそのままタクシーで自宅に帰るのもよかったのだが、わたしが幼少期を過ごした「代田橋」にも寄ってみることにした。代田橋はいつのころからか沖縄の占領地にでもなったのかというくらい、沖縄関連の飲食店が増殖している。母はこの代田橋にあった美容院で働いていて、そこで父と出会ったそうだ。その美容院の跡地が喫茶店に変わっていることを目視確認し、沖縄占領軍店舗の1つである「首里製麺」さんに寄って、今回の散歩の疲れを癒した。
※代田橋は沖縄占領軍に占領されたのではなく、おそらく根拠のない町おこしのために沖縄化したものだと思われます。念のため。
うまいうまい!でも注文から着丼まで15分くらいかかったのがいただけない。沖縄の食べものってなにを食べてもヘルシーな印象なのだが実際にそうなのだろうか。
その後、父のもう1つの事務所(こっちがメイン)があった旧環七を歩きながら帰り、事務所跡地がこれまた喫茶店になっているのを目視確認していたところ、なんとなく見覚えというか面影のあるおじさんがこちらに寄ってきた。
「もしかして、そば屋のおじさんですか?むかしカブに乗って配達してましたよね?わたし、○○の息子です。覚えてますか?」
と恐る恐る尋ねてみたところ、ばっちり覚えていくれていた。しかし彼は脳を患ってしまったらしく言葉が出ない。身振り手振りでむかしのことを話してくれたが、それだけでも十分に意図は伝わってくる。事務所の向かい側にあった商店のおじさんにも声をかけ、自分のことを話すとやはり覚えていてくれていただけでなく、声をかけたことをとても喜んでくれていた。声をかけてよかった。
みんなにかわいがってもらったのは、35年も前のことだ。わたしもおっさんになったが、みんなはじいさんになっていた。
知らぬ土地を足で旅することはもちろん楽しいことだが、最後の最後に35年の時空を超えたコミュニケーションをできたことがなにより感慨深い。地域や地元を大切にしようと改めて思い知らされた世田谷線の旅となった。