獅子文六。
出会い
わたしにはこれといって好きな作家はいない。ビジネス書の類では好きな書き手は楠木建一橋大学MBA教授はじめ幾人かはいるのだが、文学の類でこれといった書き手はいなかった。ひょんなきっかけで好きな作家ができた。獅子文六である。
青山一丁目にある外資系広告代理店で働いていたときのことである。その会社のビルの地下には小さな書店「文教堂」があり、昼休みのときや帰りしなによく寄っていた。
仕事にも大きな疲労を感じていてとてもビジネス書を読む気にはなれず、なんかサクッと読めて、スカッという気分を味わえるものはないかと物色していた。そこに書店員の手書きポップで賑やかに平積みされていた本が獅子文六著『七時間半』だ。
「獅子文六だなんて変わった名前だな」と思いながら手に取ってみる。プロフィールを見てみるとだいぶ古い人物で明治生まれとある。そしてもちろん存命していない。古い本にももちろん多くのおもしろいものがあると思うが、言葉遣いが違うために読みにくいことも多く、これまでは完全に敬遠してきた。しかし改めて手書きポップを見ると「サクッとスカッと」な感じがにじみ出ているのと、顔(表紙)が底抜けに明るい。所詮文庫であるし、仮に読みにくくて放ってしまっても止む無しと買ってみることにした。
とにかく疾走感抜群の恋愛(?)小説で、読みにくいのではないかということも杞憂に終わった。購入からわずか3日で読了。
その後
それからしばらくして獅子文六とやらをネットで調べてみると、多くの著作を残していることを知る。新聞や雑誌の連載小説をメインにやっていた文士だそう。もちろん気に入ったので他の著作を読もうと探してみるとなんとなくかわいらしいタイトルが多く見られ、男子のわたしが読んでもいいものか?と思わざるを得なかった。しかしさらに見てみると随筆も多く書かれていて、まして、東京の街の散策や、著者は食道楽ということもあって食に関する随筆があることを知る。これはと思い、会社近所の書店にあった『ちんちん電車』を購入してみた。
ちんちん電車
昭和初期に著者が使っていたちんちん電車を70歳を過ぎてから改めて乗車し、若かりし時分を回顧するエッセイ集だ。芝浦のあたりの話から始まり、銀座、上野、浅草という流れで語られている。いずれの場所もわたしも仕事や遊びで多数訪問したことがある場所であり、著者の美しい描写とわたしの記憶とが相俟ってまるで古地図を開いて眺めているかの如くノスタルジックでおいしい気分に浸ることができる。なぜ「おいしい」かというと、電車の話もさることながら、道中飲食店の話が多数登場し、いかにも食道楽であったことが窺い知ることができるからである。同じ時代に同じ場所で同じ席で著者と話ができたのであれば、楽しかったであろうなと思いを巡らせた。
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