イノベーション。

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先日のプレゼンの打ち上げ時に、「イノベーション」という言葉が出てきて、とらえ方がそれぞれ違っていた。また、先週の土曜日に母校のセミナーへ行った際にも、「イノベーション」という言葉がキーワードとなっていたので、いま一度見直してみたいと思う。
さらには、前回の記事で「イノベーションについて書く」と言ってしまったので有言実行します。
僕自身も、修士論文ではWeb2.0時代に生きる、ネットベンチャー企業を題材としてとらえていたため、「イノベーション」についてはそれなりに調べて考えたりした。記憶量は相当少なくなってしまっているけど…。
イノベーションという言葉は実は新しいものではなく、いまから約80年も前にオーストリアの経済学者シュンペーター(Schmpeter, J. A. 1926)が、以下のように定義している。

生産とは利用できる種々の物や力の結合(combination)を意味し、生産物や生産方法や生産手段などの生産諸要素が非連続的に新結合(new combination)することがイノベーションである。このイノベーションは内部から自発的に発生する経済の非連続的発展および創造的破壊(creative destruction)につながるものである。

経済学者シュンペーター(Schmpeter, J. A. 1926)

つまり、新技術などを結合することで現状を破壊し、新しいものを生み出すことをイノベーションの本質としてとらえているのである。
この”創造的破壊”という考え方は、現代の方が重要性を増しているともいわれる。
もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』で一躍市民権を得た、ドラッカー(Drucker, P. F. 1954)も、シュンペーターのイノベーション概念を基に、企業活動のイノベーションについて以下のように言及している。

事業の目的は事業の中ではなく社会の中にあり、最大利潤の追求に代わる顧客の創造こそ事業の目的になりうる。そして、顧客を創造するために行う企業者の機能がマーケティングとイノベーションである。すなわち、事業とはマーケティングとイノベーションを行うことによって顧客を創造する活動である。

ここで特徴的なのは、イノベーションを企業者の機能としている点である。
一橋大MBA教授の野中郁次郎先生や竹内弘高先生は、時代の流れの中でイノベーションの方法論が変化してきていることを指摘し、「知識創造論」を展開している。
まず、知識を「形式知」と「暗黙知」に分解した。
「形式知」は形式的な言語で表される文章、マニュアルなどの知識であり、学習を積み重ねることで知識量が増大する。
「暗黙知」は無形の要素を含む信念、ものの見方、価値などの知識であり、経験を積み重ねることによって体得する。
これらが相互に作用しあうことによって「形式知」は明確な概念として、新知識創出につながり、「暗黙知」は知識を知恵として利用できる。このスパイラル現象によって、知識は創造されるとしている。
これは、バーニー(Jay B. Barney 1986)が提唱するRBV(Resource Based View)にも通ずるものがあるのかな。
そのうえで野中郁次郎(2002)は、

すべての事象を知識創造という観点から見直すことによって、イノベーションを、天賦の才能に恵まれた個人の再現不可能な行為、あるいは偶然の積み重ねによって出現した一種の奇跡と把握することから決別し、複雑な関係性の網の目の中で営まれる、人間の相互作用的行為のプロセスとして認識し直すことができるようになる。

と述べている。
つまり、イノベーションというのは一部のカリスマ経営者のみによって実現されるものではなく、知識創造によって、万人あるいはあらゆる組織によって、体現可能な行為へと昇華できると言及している。
このように理解できると、僕らにもイノベーションを起こすチャンスがいくらでもあるということだ。なるほど、ビジネスをがんばる勇気が持てるじゃないですか。
こうなってくると、「イノベーションを起こすにはどうしたらいいか?」という具体的方法論が気になってくるが、それはまた後日。
久しぶりに硬い内容を書いたな。本当はこういうのを積極的に書きたいのだけど、どうしても書きやすい食べ物系になってしまう。

参考文献